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医師の父に助けてもらった話 その1

整形外科医だった父に体調の相談をしたことは多くはないのですが、何度かはお世話になりました。


最初の記憶は幼稚園。

当時、母に自転車で送ってもらっていたのですが、急な下り坂で右手で前輪ブレーキだけ使って減速していたところ、転倒。

(母の自転車は左手で後輪ブレーキ使うとキーキー音がうるさく、これをきらって前輪ブレーキを多用)

後ろに乗っていた私は投げ出され、地面で頭を打ちました。


意識があり、目立った外傷もなかったようで、母は何事もなかったように私を幼稚園に送り届けました。


その後、幼稚園に着いてから嘔吐。

幼稚園から連絡を受け、当時幼稚園から車で20分くらいのところにある総合病院で働いていた父が迎えに来てくれました。そのまま父の勤務先のベッドへ。

検査を受けた記憶は残ってないので、多分CTとか大袈裟な検査はなかったと思います。

吐いてしまったので、一応点滴しておくことになったらしく、人生初の点滴です。

しかし、私は血管が細く、なかなか針が刺さりません。人を代え、針を代え、何度も刺してやっと成功。

成功した看護婦さんとその直前に失敗した男性のお医者さんのことはうっすら覚えており、子供心に「お医者さんより看護婦さんの方が頼りになることもあるんだなぁ」と思ったのを覚えています。我ながら可愛くない子供です(笑)

この後はひたすら眠り、目が覚めたら看護婦さんがカルピスを用意して下さり、凄く凄く美味しかった。人生で一番美味しいカルピスの思い出です。これにて半日入院終了。


この件で学んだことは大人が自分の為に色々頑張ってくれても悲しい結果は割とよくある...だったでしょうか。

母はのちに「何とか幼稚園に届けなきゃって思ったの!」と語りましたが、母自身が車で追突されたときも病院行かない人だったので、この程度でも心配して欲しかったと思うのは甘えかもしれません。


今となっては私の頭の働きが悪いのは、この時バカになったから...と言い訳に使える美味しいエピソードとなりましたとさ。


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meganesaru707

何かが見えすぎる優秀な人は、お往々にして見えてないものがある。会社を経営していた母もそんな人だった。頭にいい人だと多くの人は言ってたが、私は抱きしめられた記憶がない。感情的に叱られたこともないが。理性的で、人間通だが、人に対して冷たい。
ただ早くから自立でき、愛情深い人と一緒になれたのは母のおかげかもしれません。
by meganesaru707 (2023-11-21 20:18) 

星民

メガネサルさん、
そうですね。見えたり、見えなかったり...。
私の母も周りの評価は「優秀」「強い」でした。反面教師と捉えすぎたせいか、私自身は軟弱に育ってしまったので、そろそろ過去を生かした強さを身につけたいものです。
by 星民 (2023-11-22 11:23) 

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